30 文字看板めぐり(9)采女橋≪丹羽海鶴≫
新橋演舞場のわきの采女橋(うねめばし)をご存知ですか?銀座から行くとニッサンの先にかかっている重厚な橋です。橋の名はブロンズ製で、漢字とひらがなで左右に埋め込まれています。
かな書の伝統にのっとって濁点をつけず「うねめはし」となっています。
これは丹羽海鶴(にわかいかく1863~1931)の行書です。明治の書聖・日下部鳴鶴の門下で、四天王と謳われた一人。近代書道史の泰斗です。岐阜県出身。26歳で鳴鶴の内弟子となった「鶴門はえぬき」で、師匠ゆずりの男性的な楷書は「海鶴流」とも言われました。九段下の書道用品店「玉泉堂」の大看板を見れば、その力強さがわかります。文部省書道教科書を手がけるなど、後世に与えた影響も大きく、弟子に田代秋鶴、鈴木翠軒があります。
東京の橋の標札は海鶴が大半を揮毫し、采女橋のとなりの万年橋、祝橋、亀井橋、三吉橋、築地橋、入船橋など、ことごとく海鶴の書でした。ところが近年あい次いで改築され、海鶴の名筆を、陳腐な、書と言うに値しない代物にすげ替えてしまいました。貴重な文化遺産をむざむざ捨てるなんて! 無惨です。
築地本願寺のわきの「門跡橋」にはかろうじて一枚が残されており、東京の「復興局昭和三年建之」とあります。とすれば、関東大震災の復興事業として丹羽海鶴に依頼し、昭和6年没の海鶴最晩年の書ということになります。今後改築するなら、何をさておき残すべきお宝です。私は中央区書道連盟の一員でもありますので、先日、矢田区長さんにネンゴロに直訴しておきました。
■采女橋 銀座5丁目と6丁目との境「みゆき通り」にある。橋を渡れば築地。かつて松平采女正の屋敷がこのあたりにあった。橋のたもとの説明書きには肝心な揮毫者の名がない。標札のサイズは18×44.5センチ。
掲載日時 2008 年 09 月 20 日 - PM 05 : 14
