557 須田剋太「街道を行く」 - 書道コラム

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557 須田剋太「街道を行く」

 棟方志功の「絵と字を組み合わせる版画」と null
いう新しい分野はその後多くの亜流を生みました。もっぱら山頭火を取り上げた秋山巌(右)もその一人でしょう。山頭火臭さを出そうとするあまり、類型に陥っており字もちんまりとまとまって「いかにも」という作品に終ってしまいました。

 私が注目するのは須田剋太(1906~1990)です。司馬遼太郎の「街道を行く」の挿画で逞しい描写力、がっちりとして揺るがない構成力を見せてくれました。これはもう挿し絵の域を超えています。絵のすばらしさに加えて「字」にも並々ならぬ関心を持っていました。下図右のような書作もあります。
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 上は「因幡・伯耆のみち」から『美保関灯台』です。強引とも見える太い線が圧しています。しかしよく見ると建物の垂直であるべき縦線が微妙に傾いて画面に求心力のある緊張をもたらしています。決して乱暴な眼ではありません。また通常の絵描きは描いた場所はサインのわきに申し訳程度にメモするだけで、このように大きく字を入れることはありません。むしろ書かないくらいです。右下のこの重さが画面全体と見事に釣り合っています。絵描きの字ですから書家のそれとは同列には置けません。「転節」やハライ、ハネなどの基本も出来ていません。「剋」の字もどうしてこんな形になるのかわかりません。それはそれとして線としての面白さ、絵との調和は見逃せません。私は司馬遼太郎が須田に「街道を行く」の表紙をまかせなかったことを残念に思っています。それどころかパッとしない古地図を表紙に用い、表題は普通の活字です。司馬は須田を挿絵画家としか位置づけていなかったのでしょう。いや、内心ではあまり好きな絵ではなかったのでは、と勘ぐっています。
というわけで須田剋太装丁の表紙は自分の画集ばかりになっています。

掲載日時 2021 年 08 月 01 日 - 午後 07 : 42

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