551 小村雪岱「おせん」の装丁
装丁の草分けは何といっても小村雪岱(こむらせったい 1887~1940)です。挿絵画家として一世を風靡したばかりでなく、本の装丁に、歌舞伎の舞台装置に、木版画に、模写にとその活動は多彩です。「小江戸」と言われた川越藩に生まれ、15才で上京。17才のときに荒木寛畝に入門。翌18才で東京美術学校日本画選科(下村観山教室)に入学。泉鏡花と知り合い「日本橋」の装丁を手がけ(下図)これが事実上の処女作。隅田川の両岸に白壁の日本橋の蔵を俯瞰した表紙は木版刷りの斬新なアイデアです。これ以後大正14年までに鏡花本を春陽堂から15本も装丁しました。まだ39才です。
「築地明石町」や「円朝」などの粋な名作を生んだ江戸情緒の名手鏑木清方が随筆集「銀砂子」の装丁に雪岱を起用しています。 挿画は大正11年里見弴「多情仏心」からはじまりました。上図邦枝完二「おせん」で浮世絵風の雪岱スタイルが完成しました。 私は大の雪岱ファンでして先年埼玉美術館で「雪岱展」があったので見に行きました。そのとき麗子像で有名な岸田劉生とも交流があったことを知り、その広い人脈にも驚いたことでした。劉生の妻は鏑木清方の弟子でその縁もあったのでしょう。
掲載日時 2021 年 07 月 21 日 - 午後 06 : 11
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