41 木の文化(18)木のごとく生きるべし
そろそろこの話題を切り上げようと「恩人」を書いたあとで、ちょっと思い出したので、この稿で一段落とします。
インドの大学匠にシャーンティデーヴァという人があります。大乗仏教の中観派の巨匠です。年代は学者によって違いがありますが、9世紀を下らないだろうとされています。この人に『菩提道趣入(ボーディチャルヤアバターラ)』という著作があり、悟りへの道の入門書として、インドおよび中央アジアでも広く読まれました。厳しい自己懺悔にはじまり、仏教徒としての行動規範を述べています。
その第5章に「木のごとく生きるべし」というくだりがあります。我々が煩悩によって「あいつを懲らしめてやりたい」とか「叩きのめしてくれん」とかの激情にかられた時、「木のごとく生きるべし」と言うのです。あるいは、「ちやほやされて、いい気になりたい」とか「現世の利得を求める」とき、「木のごとく生きるべし」と言うのです。
ここでイメージされている木は「沈黙し、孤高の高さを持ち、ゆるぎなく動かざるもの」だと思います。木を賛美するこのような思弁は、古くはアニミズムには多く見られますが、注連縄(しめなわ)をめぐらして神性を付与するのではなしに、人間のあるべき姿を象徴するものとして樹木に着目したことは、仏教的な思弁のなかではユニークです。
木は可哀そうに、同じ場所から移動出来ません。自由に動けたり、空を飛ぶことのできる生き物からは不自由に見えます。しかし前向きに眺めてみると、木は黙って木陰を与えてくれ、来るものは拒まず、去るものは追わず、分け隔てなく安らぎを与えてくれています。暑いインドではこのような大樹が数多くあったのでしょう。煩悩に犯されやすい我々としては、木に見習うべき人の姿を重ね合わせることが、時には大切であることを、この言葉はやさしく教えてくれています。
掲載日時 2009 年 06 月 18 日 - PM 02 : 12
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