8 書は日用品(8)周原遺跡の語るもの
周は陜西省(きょうせいしょう)のあたりに割拠していた豪族で、殷王朝に服属する諸侯のひとつでした。勢力を強めて東方に進撃し、殷をほろぼしたのが、前11世紀の半ばすぎとされています。近年、周の故地である周原(しゅうげん)から、おおくの甲骨文字が発見され、周の初期の政治状況がにわかに明らかになってきました。
注目したいのは、殷の王に対する祭祀を行っていた、という甲骨文字の記載です。殷代末期に、殷の地でなく、周の故地でこれを行っていたのです。
もともと周は易を得意技としていた部族で「周易(しゅうえき)」は周の文王によって考案されたとされる八卦占いですが、その原初形がここの甲骨文字からも確認されています。周原遺跡の発掘物は、周が殷に服属しつつも、殷の祭祀や占いに、主導的な役割を果たしていたことをうかがわせます。
私は殷王朝の神官、つまり文字を占卜(せんぼく)に役立てた官僚たちが、周の一族から送り込まれていたのではないかと類推します。というより、周人たちが殷王朝の文字集団の中央にいた、文字システムの担当部族だったのではないか、ということです。そうであれば、殷から周へすんなりと文字体系が移行し、断絶しなかったことへの説明がつくのです。
日本でも物部氏や大伴氏などの氏族が、祭祀や軍事を担当し、ヤマト政権のなかで勢力を競い合っていたことが知られています。周こそが殷の「文字神官」を代表する氏族、占卜のエキスパート、であったからこそ、殷の専売特許であったはずの甲骨文字が、周原で大量に発見されたのではないでしょうか。
もの書きにすぎない私は、学者のこのあたりの研究におおいに興味をもっています。
掲載日時 2008 年 04 月 27 日 - PM 10 : 49
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