43 弘法筆を撰ばず
弘法大師ほどの天才が言うならいざ知らず、我々レベルがこんなことを言うのは不遜です。大抵の書家は筆を撰んでいます。手にかわる道具です。おかしな筆ではどうしようもありません。亡き私の父は「弘法は筆を撰ばす」だ、と言っておりました。恐らく、空海は入唐するや最良の筆を買い集めたに相違なく、当時の長安には歴史上ピークの名品が揃っていたはずです。日本に戻ればもう手には入らないかもしれない、そう思えば大量に買っておかねばなりません。
帰国した空海の側近は無造作に筆を取り上げる大師を見て、感心したのかもしれませんが、そもそも空海の筆の束そのものがどれを採ってもよいほどのものが揃っていたのです。
筆の生命は芯毛と言ってど真ん中を貫く毛にあります。これが中心をずれると勝手におかしな動きをしてしまいます。芯毛を巻き込んで真ん中に収めるなどという芸当はそうやすやすと習得できるものではありませんから、本当の筆を作れる職人はそうざらにはおりません。よく、中国旅行のお土産だと言って、筆を買って帰るかたがありますが、筆屋でもなかなかいい筆がないのに、土産屋などにまともなものがあるわけがありません。あんなものには絶対に手を出してはいけません。
何年か前に鉄人・衣笠祥雄氏が絶好調の投手のフォームについて「回転軸がぶれない」ことを指摘しておられました。投球動作では頭、肩、肘、腕、腰・・体のあらゆる部分が回転運動をしているわけですが、そのすべての回転軸がブレないのだそうです。これはすごいことです。バッターについても同じことが言えるのではないでしょうか。インパクトの瞬間に力が集約されるには、そのような基本動作の安定が要求されるのだと思うのです。
芯毛が中央に位置している正しい筆は回転軸がぶれることもありません。ただし筆を持つ手がふらふらしていたら、何の意味もありません。名筆には腕が必要です。だからこそ私は毎日運筆の修練をしなければならんのです。
掲載日時 2009 年 06 月 25 日 - PM 07 : 42
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