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    <title>書道コラム</title>
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    <modified>2008-12-26T12:11:24Z</modified>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[42　文字看板めぐり（21）妙ぎ亭≪岡村大≫]]></title>
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  <name>okamura</name>
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 <modified>2008-12-26T12:11:24Z</modified>
 <issued>2008-12-26T21:11:24+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20081226-42myougi 01.jpg">null</a><br />
<br />
　八年前に私が書いて彫ったお蕎麦屋さんの看板です。中央区の看板めぐりをしているわけですが、今これが新富町の稽古場にデンとあるので、ついでながらお目にかけます。<br />
<br />
　伊豆の海風がどのくらい板を傷めるか気がかりでした。案の定、かなりの強風に曝される所で、上部の白太にかかる部分は朽ち果てて落下寸前でした。そこでとりあえず下ろして新富町に送ってもらいました。新たに作り直すという話もあったのですが、開店当初から苦労をともにしてきた看板ですので、できるだけ原形を保って修理してください、という言葉に元気が出ました。<br />
<br />
　材は木曽で見つけたケヤキです。新木場のケヤキ専門店で「やはり伊豆には伊豆の木でしょうか」と尋ねると「いや、大丈夫だよ。これはいいケヤキだから赤身の部分を残しておくだけで大丈夫」と太鼓判を押してくれ、裏面の白太を取り除いて、上部に固定剤を注入してくれました。そこで文字の上のところだけ接ぎ木をしました。この板のトモギレをとっておいたのでそれを使っています。表面はすっかり白くなっていましたが、ちょっとヤスリをあてると赤身の茶色が出てきます。さすがケヤキです。岩絵具の黄緑青に緑瑪瑙を加え、緑っぽさをやや抑えました。漆で固着していますから雨がかかっても色は落ちません。ヨコ182×左タテ57の大きさです。<br />
<br />
　左の関防印はソバチョコの形で「和楽（金箔押）」ご主人宇枝さんの愛妻妙子さんの「和やかで楽しいお店に」という気持ちからです。右の落款のところは「宇枝氏（アルミ箔）」下に私の「大書并びに刻」と入れ、左書きなので印もすべて時計回りにしています。（銀はすぐ酸化するのでアルミ箔がよい）　新年に間に合うよう明日にでも発送の予定です。<br />
<br />
■妙ぎ亭　伊東市富戸916-64　0557-51-6272　<br />
　Ｒ135号「城が崎海岸入口」からＲ109号に入って最初の信号を直進。ゴルフ練習場のすぐ先。伊豆にお遊びの際にはぜひ妙技を味わってください。<br />
<br />
※手前味噌になったところで、このシリーズを一段落させて来春から話題を変えます。<br />
　なお「看板めぐり」は別メニューで続ける予定です。では皆様よいお年を。]]></content>
 <id>http://www.seikeikai.net/column/:6:195</id>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[41　文字看板めぐり（20）翠竹堂≪豪潮寛海≫]]></title>
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  <name>okamura</name>
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 <modified>2008-12-18T07:02:03Z</modified>
 <issued>2008-12-18T16:02:03+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20081218-suitiku.jpg">null</a><br />
<br />
　ジェットコースターにぐるぐる振り回されたような、面白い看板をご紹介しましょう。京橋の骨董店「翠竹堂」のもの。<br />
　草書の看板は減少傾向にあります。読めない人が増えたからです。筆記具としての筆が特定の人の道具となり、筆の運びの特質を活かした草書が使われなくなって、もう久しいのです。草書は読めないものとアタマから決めてかかっている時代です。<br />
<br />
　分かりやすく示すと下のように書いてあります。「翠」の下の「卒」は今では「卆」と略しますが、草書ではＡのように書くので、羽とあわせてＢとなります。「竹」は通常Ｃのように書きますが、日本ではカッコをつけてＤのように書く人が多いようです。　　　　　　　　　Ａ　　　　　　Ｂ　　　　　　Ｃ　　　　　　Ｄ<br />
<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20081218-41.jpg">null</a><br />
　この書は豪潮（ごうちょう1749～1835）という江戸時代の高僧の墨跡から採ったものです。豪潮寛海律師は肥後（熊本県）玉名市の出身で、16歳のときに比叡山にのぼって修行を積み、難行苦行の末、活佛とあがめられた人。郷里に戻ってからは九州各地を巡って民衆救済につくした実践派の僧侶です。大分県に滞在中は咸宜園の広瀬淡窻の病を治した恩人でもあり、九州では絶大な尊崇を今でも受けています。1817年に尾張の徳川斎朝藩主に招かれ、名古屋の長栄寺を再興。今も豪潮寺の名で親しまれています。<br />
<br />
　彫ったのは店主の父上だそうで、全くの素人です、と謙遜しておられましたが、穂先の一本一本を丹念にたどって、なかなかの努力賞ものです。筆順からすると、もぐるべき筆が上に出たりしていますが、これはご愛嬌としましょう。<br />
　読めない時代背景をものともせず、郷土の誇りを堂々と店先に掲げる心意気に、私などは声援を送りたくなります。<br />
<br />
■翠竹堂　東京都中央区京橋3-9-7　03-5250-0023]]></content>
 <id>http://www.seikeikai.net/column/:6:194</id>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[40　文字看板めぐり（19）竹葉亭≪岡麓≫]]></title>
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  <name>okamura</name>
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 <modified>2008-12-11T06:50:42Z</modified>
 <issued>2008-12-11T15:50:42+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20081211-40tikuyou.jpg">null</a><br />
<br />
　なかなかの名品です。銀座八丁目のうなぎの「竹葉亭」本店の正門の看板です。書はアララギ派の歌人・岡麓（おかふもと1877～1951）。歌と書に生涯をささげたとあって、見れば見るほどよい字です。これは看板というより書作品の名にふさわしく、さして大きくはありませんが（といってもヨコ1メートル以上はありますが、看板としては小ぶりです）、訴えかける力があります。大きければ勝ちといわんばかりの最近の展覧会至上主義の逆を行く、無言の力とでもいいましょうか。書のよさが見る人の目の中に広がるのです。うなぎの味みたいに。<br />
<br />
　「竹葉亭」といえば、かの斉藤茂吉が息子（茂太）のお見合いのあとの両家の顔合わせの席で、お嫁さんとなる人のうなぎを「ちょうだい」と言って食べてしまった、というユーモラスな話が思い浮かびます。アララギの歌人がしばしば訪れた老舗ですから、逸話にはこと欠きません。私が書くまでもないでしょう。<br />
<br />
　彫り師は不明ということですが、地を浅く平ノミで浚い、文字はところどころカスレを控えめに彫りつけ、縁に素朴な味を加えています。地色は漆に焼き群青を混ぜたようで、黒くもなく青くもなく、全体に上品な感じに仕上がっています。またこの金箔は相当高度な箔押しの技術がなければできません。技術的にも第一級の仕事で、銀座必見の傑作です。これほど完成度の高い書なのに、作者はまだ納得が行かなかったのか、落款を押さなかったようです。そこで、左下が何となく寂しいのですが、これは私が「誰の書？」と思う習性があるからでしょう。<br />
<br />
　なお右手の入り口にも書刻看板がとりつけられていますが、何と言っても上の作が圧巻です。<br />
<br />
■竹葉亭　本店　東京都中央区銀座8-14-7　03-3542-0789　<br />
　　銀座五丁目の店は漱石の「我輩は猫である」に出るほどの店で、「うなぎ」と大書したタテ看板があり、これも堂々たるものです。]]></content>
 <id>http://www.seikeikai.net/column/:6:179</id>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[39　文字看板めぐり（18）林田画廊≪島尾敏雄≫]]></title>
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  <name>okamura</name>
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 <modified>2008-12-04T09:11:32Z</modified>
 <issued>2008-12-04T18:11:32+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20081204-co38hayasida.jpg">null</a><br />
<br />
　彫りに注目してください。これは薬研（やげん）彫りといいます。三角にＶ字カットする彫り込み法です。多くの文字看板はいわゆる「カマボコ彫り」で、薬研彫りはほとんど見られません。ですから京橋の「林田画廊」は楷書にふさわしい彫りを吟味しているのです。<br />
<br />
　薬研は薬草を摺り砕くための道具で、三角の溝があります。ご覧のように文字の中央部が最深部となっています。単純な彫りですが、やってみるとなかなか奥が深く、魅力があります。とくに文字の片側半分が光をうけて浮かび出るのが面白く、この効果をねらってなるべく明るい色を入れるのが得策です。上の写真では「林」の字の白い胡粉が光っているところと、翳っているところが見えています。プロのカメラマンならちゃんとライティングして、もっとダイナミックに写すでしょう。<br />
<br />
　元禄の頃、薬研彫りがおおいに流行りました。石碑、とくに墓石にはかなり残っています。文化文政になると下火になり、きりりとした薬研彫りは減って、だらりとした篠（しの）彫りに変っています。面白いことに墓石では書き順の逆に彫っています。つまり後から書く線のほうが上に来るのでなく、逆に下にもぐらせているのです。墓石だからあえて逆縁にしたのではないかと思います。<br />
　上の看板は書き順を出していません。「田」「画」の中央部は十字路になっていて、タテ・ヨコ平等です。これも線のクロスするところがすっきり見えます。このように、薬研彫りはバリエーションも見所です。（なお篠彫りという名称は石刻の用語で、文字の中央部をゆるやかに深める彫りのことを指します。板の彫りにはほとんど使われません。）<br />
<br />
　書は『死の棘』などで有名な作家の島尾敏雄(1917～1986）。王羲之ばりのきれいな楷書で清々しい字です。板はケヤキで落款には「敏作」とあり、金箔押し。彫りは女流刻字家・小田玉瑛とのことです。<br />
<br />
■林田画廊　東京都中央区京橋2-6-16　03-3567-7778　地味な看板ですが品格にまさっています。ぜひ実物をご覧ください。店内には原書があります。]]></content>
 <id>http://www.seikeikai.net/column/:6:178</id>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[38　文字看板めぐり（17）青柳]]></title>
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  <name>okamura</name>
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 <modified>2008-11-27T05:46:06Z</modified>
 <issued>2008-11-27T14:46:06+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20081127-co37aoyagi01.jpg">null</a><br />
<br />
　見やすい、読みやすいというのが看板の第一条件ですから、「篆書（てんしょ）」の看板はあまり多くは見かけません。行書や隷書に比べると非常にわずかです。これはその珍しい篆書の看板で、八丁堀のお菓子屋さんです。<br />
<br />
　ご丁寧に「八丁堀」まで篆書で書いてあります。「青」は読めるとして「柳」はどうでしょうか。何となくわかる、という人はなかなかのものです。「丁」は面白い形ですね。これが正しい字形です。「おや？」と思わせる効果があるとしたら、篆書看板もまんざら棄てたものではありません。分かりやすい字形であれば大いに推奨したいところです。<br />
<br />
　見たところだいぶ年期が入っていますから、これは立派に今日にも通用している好個の一例です。ご主人によると20年ほど前に作ったもの。書家に書いてもらった字ではなく、誰の字かわからないそうです。でも字形は正確な小篆を踏襲しているし、板もケヤキの大物で、文字は漆と、ちゃんとしています。板ははじめは茶色でも、時が経つとこのように白っぽくなるので、黒い漆もだんだん目立ってきます。下部の止め具もなかなかいい形で、こういうものを作る職人があった時代が羨ましく思われます。<br />
<br />
　八丁堀はわが新富町のお隣にあり、ここのお団子は私にとってもお馴染みなのです。同じ「青柳」が入船町にもあります。ここもお馴染みですが、創業は明治とあります。ただし看板は古くありません。私が子供の頃、銀座七丁目あたりに「青柳」がありましたが、今は見当たりません。ことによると、この八丁堀が出していたのでしょうか。勝手に想像しています。<br />
<br />
　ともあれ、篆書のものとして貴重です。このコラムも有名書家のものばかりを取り上げないで、隠れた字を探してほしい、という声も聞かれますので、次からそういうものを取り上げるとしましょう。<br />
<br />
■青柳菓子舗西八丁堀　中央区八丁堀2-14-6]]></content>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[37　文字看板めぐり（16）一哉堂≪川端龍子≫]]></title>
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  <name>okamura</name>
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 <modified>2008-11-23T06:40:41Z</modified>
 <issued>2008-11-23T15:40:41+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20081123-issaido.jpg">null</a><br />
<br />
　築地の「ちとせ」の看板は既にご紹介しましたが、同じ川端龍子（1885～1966）の書になるものが、銀座にもうひとつあります。銀座５丁目の画廊「一哉堂」です。<br />
　「一」を思い切り太く、後半に筆力をちょっと抜いて単調になるのを避けています。「哉」の最後の点がユーモラスで、アポストロフみたいに見えます。字書きなら「点」だと思っていますから、こんなしゃくれた形には書きません。やはり画家の発想はユニークです。<br />
<br />
　板はケヤキで、彫りは浅く文字部を浚っています。「ちとせ」と同じ彫り方で、同じ人が彫ったものと思われます。ただこちらは胡粉を文字に入れています。私の見るかぎり、この彫りの浅さはあまり慣れていない人の仕事でしょう。専門家なら、刀が板に負けることなく、もっと鋭く切り込めるからです。これほどの板になれば刀を跳ね返すほどの力を持っていて、殊にケヤキは堅さが身上の材ですから、刃物は何度も研ぎすましてとりかかります。よく見るとサカ目になっているところで彫りが乱れています。ことによると龍子自身の彫りかもしれません。<br />
　だからいけない、と言っているつもりはありません。浅い彫りも品の良い趣があるものです。乱れ彫りだから看板屋の「カマボコ彫り」より面白い、ともいえます。私は龍子の絵が大好きです。あれほど絵の上手な人が、書にも関心を持っていたというだけで充分です。ですから、この看板は私の愛する名品のひとつです。<br />
<br />
■一哉堂画廊　東京都中央区銀座5-4-14　画廊ですからご主人と龍子画伯との交流があったものでしょう。]]></content>
 <id>http://www.seikeikai.net/column/:6:172</id>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[36　文字看板めぐり（15）三原堂≪山崎節堂≫]]></title>
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  <name>okamura</name>
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 <modified>2008-11-13T07:53:00Z</modified>
 <issued>2008-11-13T16:53:00+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20081108-miharadou01.jpg">null</a>　人形町に来ました。水天宮のはす向かいの角にあるお菓子屋さんです。<br />
　横3間ほどもあろうという長大なケヤキ板に、看板屋のいわゆる「カマボコ彫り」で金箔押しです。都心では最大級かもしれません。<br />
　書は山崎節堂（1896～1976）。私の所属する中央区書道連盟の創始者です。<br />
 <br />
　鰹節屋の次男で、本名は中（ちゅう）と、一風変った名です。日本橋の有名な鰹節の老舗「にんべん」はご親戚筋だったようです。書は独学にちかく、中国で研鑽、豊道春海の門下ではありますが、あまり影響を受けてはいません。のちに日展の理事になられました。書のほかに金魚の「らんちゅう」の専門家で『金魚秘訣録』（1958刊）という著作があります。<br />
<br />
　この看板にはミステリアスな話があります。門下生が江戸橋の先生のご自宅から、この書稿を三原堂にお届けした時は、右から左に、伝統的な左書きだったといいます。しかし看板になった時には、上の写真のように右向きになっていました。組みかえて落款の位置も右にしたらしいのです。そのほうが読みやすいという判断が「どこかで」あったことになります。しかし書き手の立場から申しますと、右書きと左書きとでは、文字の組み立て方もかなり違うはずで、そのような改変はきわめて異例です。先生は温厚な方でしたから、私なら「彫りなおせ！」と怒るところ、ニコニコとお許しになったのでありましょう。<br />
<br />
■三原堂　創業は明治10年。初代三原田宗元。<br />
　中央区日本橋人形町1-14-10　03-3666-3333]]></content>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[35　文字看板めぐり（14)栄太楼≪高林五峯≫]]></title>
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  <name>okamura</name>
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 <modified>2008-11-07T11:50:14Z</modified>
 <issued>2008-11-07T20:50:14+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20081107-eitarou01 .jpg">null</a><br />
<br />
　日本橋に来たので、高林五峯の書をもう一つ見ることにしましょう。日本橋の顔ともいうべき「栄太楼」です。うなぎの「宮川」の看板は隷書でしたが、これはどっしりとした行書。<br />
　看板の性格上、おとなしい字では人様の目をキャッチできません。オヤ？　と思わせる部分が必要です。「太」はわざとバランスを崩して、そういう演出効果をねらっています。書家にはそうした娑婆っ気、山っ気が「ほどよく」なければならず、五峯はさすがに勘どころを押えていると言ってよいでしょう。<br />
<br />
　先だって「中央区書道展60回記念パーティ」で、神田囃子保存会の日本橋葵会のかたがたにお願いして「獅子舞」などをご披露いただきましたが、獅子の口にお祝儀をはずむと、そのおかえしに獅子頭のついたしゃれた箱が配られ、中には栄太楼飴がはいっていました。「なるほど」と思ったら「そりゃあ日本橋ですから」と獅子の介添えのかたが胸をはって答えました。そういうことです。説明はヤボというものでしょう。<br />
<br />
　高林五峯（本名は寛）は下町では一世を風靡した書家ではありますが、体系的に書作を集めた本がないため、私には解説できません。どうも日本の書道史では民間の作家は黙殺されがちで、生没年もまだ確かめられません。分かり次第書き込みますが、また二峯、五峯のお弟子さんの系列があるなら知りたいものです。ついでに三峯、四峯はあるのでしょうか。気になっています。<br />
<br />
■栄太楼総本舗　創業安政４年（1857）　東京都中央区日本橋1-2-5　<br />
　　03-3271-7780　写真右側の電気のタマが切れています。東京の日本橋の顔ともいうべき「栄太楼」の看板は高林五峯の書。かつては日本橋本石町の高林塾も下町の顔とされていました。]]></content>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[34　文字看板めぐり（13）佃島「天安」]]></title>
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  <name>okamura</name>
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 <modified>2008-10-15T08:31:24Z</modified>
 <issued>2008-10-15T17:31:24+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[「このコラムで紹介したいと思っていた佃島の大看板なんだが」<br />
「もんじゃ焼きのですか？」<br />
「それは月島。佃島とは区別してほしいな。佃といえば佃煮さ」<br />
「江戸時代からあるそうですね。昔は東京湾もきれいだったんだ」<br />
「その佃煮の『天安』のしぶい大看板が、このあいだ見たらマッサラになってしまった。ほらね。（写真上）名物がひとつ消えちゃったわけだ。」<br />
<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20081015-co32a.jpg">null</a>「なんでまた」<br />
　<br />
　「店の人に聞いたら、古くなったので今年の１月に掛け替えたそうだ。傷みがはげしく、台風などで落ちたりしたら大変なことになる。風雨にさらされているからね。今までのものはサラシに巻いて倉庫に保管しています、と言っていた。看板も寿命がくれば代替わりもやむを得ないんだね」<br />
「看板にオカワリあり、か」（笑）<br />
<br />
「もう見られないのが残念だけど、数年前に私が撮った写真があるので、かつての雄姿をごらんにいれよう。<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20081015-co32x.jpg">null</a><br />
　隷書で『元祖佃煮』。楷書で『天安』とあって落款印がふたつ。下は金文らしいが判読不能。上の白文は『昌創閲印』のように読める。なにしろ屋根の上だから見極められない。ちゃんと落款があるところを見ると看板屋の字ではないようだ。しかし名前が日本人らしくない。中国人だとすると、佃煮との関わりに興味がわく。店の人も誰が書いたかわからないので、どなたかゆかりある人は教えてくだされ」<br />
]]></content>
 <id>http://www.seikeikai.net/column/:6:154</id>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[33　文字看板めぐり（12）三井本館≪岡村天溪≫]]></title>
 <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.seikeikai.net/column/date_10-09-2008.html" />
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  <name>okamura</name>
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 <modified>2008-10-09T12:32:26Z</modified>
 <issued>2008-10-09T21:32:26+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[「いつのまにか日本橋まで来てしまいました。へとへとです。」<br />
「向かい側の三井ビルの千疋屋で一と休みしよう。」<br />
「ここも見るべき看板があるんですか？」<br />
「いや、今はないので、アイスをなめる。」<br />
「大賛成です。実は凮月堂で一服するかと期待してました。」<br />
「君と看板のある店に着くたびに食べていたら、ふところが心配だ。」<br />
「しかし、面白いオ宝を見て、少し物識りになった気がします。」<br />
「私のように字に眼がとまる人間や、また別のものに気がつく人間がいて、それぞれにウンチクを傾けたら、散歩はもっと楽しくなるね。ところで、このビルはごく最近改築したが、以前は『三井本館』という看板がかかっていたんだよ。これがその写真だ。」<br />
<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20081009-三井本店.jpg">null</a><br />
「実は、この字は私のオヤジ岡村天溪の隷書で、別の仕事から勝手に拾って作られてしまった。」<br />
「勝手に？　まさか。」<br />
「著作権なんてない時代だから、気がついたらこうなっていて、書いた本人が『あれま』と思っただけ。」<br />
「のんびりした話ですね。」<br />
「館という字の旁（つくり）の下のほうが少し左に傾いている。恐らくこの部分は株券の篆額から取ったものだろう。あれはアーチ形に書くからね。金属板屋が少し字形をいじったらしく『アタシの字があんなになっちゃって。言ってくれたらちゃんと書いたのに・・・』と嘆いていた。今はもう見られないけどね。というわけで、巨峰のシャーベットなんか、どうだい？」]]></content>
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