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    <title>手本・百人一首</title>
    <link>http://www.seikeikai.net/100/</link>
    <description>本格書道サイトの書道広場！稀代の書道家・岡村天啓先生の教えを引き継いだ岡村大が監修。本物の書道を学びたい方のための書道教室「青渓書苑」もご紹介！まずは習字からという方も大歓迎！</description>
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    <copyright>青渓会</copyright>             <!-- Copyright notice -->
    <category>Weblog</category>
    <item>
 <title><![CDATA[これでさいごのひとやすみ（10）]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_499.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20091126-pic 005a.jpg">null</a><b>オットセイじゃあるまいに</b><br />
<br />
　百人一首のカルタに描かれているお姫様たちは、どうしてそろいも揃ってわけのわからない姿勢をしているのでしょうか。衣裳のなかに埋まって顔だけ出ているといった感じ。着ているとも思えません。この様子から判断すると、みな寝そべっているように見えます。<br />
<br />
　まさか姫君がたが皆オットセイのような姿態でいたわけではありますまい。恐らく十二単衣のデッサンをちゃんとしなかった画家の怠慢だと思います。滋賀や京都には十二単衣を着せてくれる観光地があります。十二単衣の下は長袴ですから、足はかなり自由で、ゆったりとしていたようです。正座は江戸時代になってから、立膝は韓国の坐り方で、平安時代にはどちらもなかった風習なので、足元のお行儀はよろしくなかったかもしれません。<br />
<br />
　十二単衣の着付け教室を見学したことがあります。上衣を八枚くらい重ね着しますが、何と紐は最外衣の帯だけ。順繰りに上に着せて、下の紐を抜き取ってゆくのです。これにはビックリするとともに、そうでなければお腹のまわりが横綱みたいになってしまうでしょうから、なるほどと納得しました。面白いことに、最後の帯を解けば、スルリと蝉の抜け殻のように抜け出ることができます。時間にして「瞬時」です。なるほど、そうだったのか、と想像をめぐらせているかたへ、念のため申し添えますが、抜け出たお姫様は白い衣裳に鮮やかな緋色の長袴というお姿です。神社の巫女さんを思えばよろしい。<br />
<br />
　せっかくのお姫様なのですから、だらしなく寝そべっているのでなく、ちゃんと腰掛けたり、背筋を伸ばした姿に描いてほしいものですね。最後のひとやすみなので肩のこらない話題になりました。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_499.html</comments>
 <pubDate>Fri, 20 Nov 2009 13:58:18 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[100　ももしきや]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_498.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20091220-100aa.jpg">null</a><br />
<br />
<b>100　ももしきや　古き軒端の　しのぶにも　<br />
　　　なほあまりある　昔なりけり　（順徳院）</b><br />
<br />
<b>【現代語訳】</b><br />
　ももとせ（百年）を経た宮中の敷石のように古い屋根の軒端に生えている忍草。昔を偲ぼうにもあまりに多くのことが思い起こされる眺めだよ。<br />
<br />
<b>【文字表記の注』</b><br />
　いよいよ最後の歌です。扇面の形におさめました。四角い紙面ばかりでなく、このような書き方もあります。<br />
　「しのぶ」は「忍草」と「偲ぶ」とをかけています。「ものしき」は「大宮（おおみや）」の枕詞ですから「百敷き」の言葉の意味にこだわらなくてもいいのですが、しっかりと敷き詰められた石畳と、荒廃した軒端の草との対比が意図されています。<br />
　作者「じゅんとくゐん」は父・後鳥羽院と同様、乱後「佐渡」に流された失意の人。かつての栄華をなつかしむ「百人一首」の最後にふさわしい終わり方です。<br />
]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_498.html</comments>
 <pubDate>Fri, 20 Nov 2009 13:55:46 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[99　人もをし]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_497.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20091120-099.jpg">null</a><br />
<br />
<b>99　人もをし　人もうらめし　あぢきなく<br />
　　　世を思ふゆゑに　もの思ふ身は　（後鳥羽院）</b><br />
<br />
<b>【現代語訳】</b><br />
　人がいとおしいこともあるし、恨めしいこともある。あじけないこの世の中を思うからだろう。詩心を保とうとするこの私の身には。<br />
<br />
<b>【文字表記の注』</b><br />
　作者である後鳥羽院のことを考えれば、「世を思ふ」と「もの思ふ」との対句は、政治の世界と短歌の世界とのはざまに身を置いた実感だっただろうと思います。承久の乱の後、９年前のこの歌を百人一首に採りあげた定家には、この「人」が自分を指しているように思えたことでしょう。定家と後鳥羽院との対立は承久の乱を境に明暗を分け、院は隠岐に流されて失意の日々を送ったのに対し、定家は時流に乗って昇進を重ねたのです。<br />
　「をし」は「愛し」。「うらめし」は怨か恨か憾か解釈の違いが出ますので、無難に「ひらがな表記」にして含みをもたせます。「もの思ふ」は再三注記しているように、恋愛歌を根底にすえた詩的世界を意味していると思います。<br />
　作者「ごとばゐん」は隠岐遠島19年ののちその地で亡くなりました。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_497.html</comments>
 <pubDate>Fri, 20 Nov 2009 13:53:23 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[98　風そよぐ]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_496.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20091129-zzz 007.jpg">null</a><br />
<br />
<b>98　風そよぐ　奈良の小川の　ゆふぐれは<br />
　　　みそぎぞ夏の　しるしなりける　（従二位　藤原家隆）</b><br />
<br />
<b>【現代語訳】</b><br />
　風がそよ吹く楢の葉のそよぎも清々しい。奈良の小川の夕暮れ時に、みそぎをする人々の姿も清らかな夏らしさであるよ。<br />
<br />
<b>【文字表記の注』</b><br />
　四行書きでスッキリと仕上げました。夏のただなかの歌とも取れる文面ですが、定家や家隆の置かれた環境は、すでに夏は終わっているのです。少しでも夏のなごりを求めるのなら、奈良の小川の「禊の神事」です。この神事は京都上賀茂の御手洗川のことで、奈良ではないのですが、「天智天皇」にはじまる「百人一首」は奈良朝もしっかりと視野に入れています。単なる夏の風物詩の歌ではなく、やはり「来ぬ人を待つ」歌と同様の、懐旧の「そよぎ」に耳を傾けねばなりません。<br />
　作者「じうにいゐ　ふぢはらのいえたか」は藤原光隆の子。定家と並ぶ宮廷歌人。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_496.html</comments>
 <pubDate>Fri, 20 Nov 2009 13:50:38 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[97　こぬ人を]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_495.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20091129-zzz 006.jpg">null</a><br />
<br />
<b>97　こぬ人を　まつほの浦の　夕なぎに<br />
　　　焼くや藻塩の　身もこがれつつ　（権中納言　藤原定家）</b>　　<br />
　<br />
<b>【現代語訳】</b><br />
　来ぬ人をひたすら待っている私は、松帆の浦の夕なぎの時になって焼かれる藻塩草のように、じりじりと恋こがれて身もだえしているのです。<br />
<br />
<b>【文字表記の注』</b><br />
　定家にとって「待っても来ない人」とは、失われた過去の「和歌文学最盛の王朝時代」にほかなりません。「来ぬ人」ともうすでに見極めはついているのですが、そうと知りつつ、なお和歌の道を歩む人の孤独がダブルイメージとしてせまってきます。最後から三番目のしめくくりの歌として、悲痛きわまりなく、暗澹とした幕が下りようとしています。<br />
　作者であり百人一首の編者「ごんちうなごん　ふぢはらのていか」の絶唱です。歌のひびきから、まっとうな散らし書きにならざるを得ません。<br />
]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_495.html</comments>
 <pubDate>Fri, 20 Nov 2009 13:46:41 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[96　花さそふ]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_494.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20091128-096.jpg">null</a><br />
<br />
<b>96　花さそふ　あらしの庭の　雪ならで<br />
　　　ふりゆくものは　わが身なりけり<br />
　　　　　　（入道前太政大臣　藤原公経）</b><br />
<br />
<b>【現代語訳】</b><br />
　花を誘うかのように花嵐が吹き荒らして、わが家の庭は雪景色さながら。降りゆくものは花びらで、古りゆくものはわが身だなんて、洒落れたところではじまらんけど。<br />
<br />
<b>【文字表記の注』</b><br />
　「古る」は「経る」にも通じ、今の老齢化社会には同感するかたも多いのではないでしょうか。「花が散る」のもその第一歩で、嵐が追い討ちをかけているわけです。内容の寂しさに反して、描かれる景色は権勢を極めた人らしい絢爛豪華さで、それゆえに万人共通の「老い」にも説得力があります。<br />
　「わが身なりけり」だけを右下に配置しています。<br />
　作者は「にふだう　さきのだいじやうだいじん　ふぢはらのきんつね」。「入道」だけでなく「西園寺入道」とわかりやすくしました。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_494.html</comments>
 <pubDate>Fri, 20 Nov 2009 13:43:25 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[95　おほけなく　]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_493.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20091129-zzz 004.jpg">null</a><br />
<br />
<b>95　おほけなく　うき世の民に　おほふかな<br />
　　　わがたつ杣に　墨染の袖　（前大僧正　慈円）</b><br />
<br />
<b>【現代語訳】</b><br />
　身のほどもなく、浮き世の民に仏教の衣を覆いかぶせることになった私です。私のよって立つ比叡山は杣山で、み仏の与えられた墨染めの衣の袖に身を寄せなされ。<br />
<br />
<b>【文字表記の注』</b><br />
　「おほけなく」とは「分不相応に」という謙虚な言葉。杣（そま）は植林した木のある山。ヒノキやスギが植えられていたのでしょう。<br />
　今度は四行書き。「の民」はやや不自然な改行ですが、行頭に漢字を置くことを避けるために、しばしば使われる手法です。「墨染（すみぞめ）」は漢字二字で表しますが、「墨染め」とおくりがなをふるのもいいと思います。<br />
　作者「さきのだいそうじやう　じゑん」は＃76の法性寺入道忠通の子。権門の貴人で、四度も天台座主を務めた仏教界の大御所。「おほけなく」がそらぞらしいほどの第一人者です。<br />
]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_493.html</comments>
 <pubDate>Fri, 20 Nov 2009 13:39:47 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[94　みよしのの　]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_492.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20091120-094.jpg">null</a><br />
<br />
<b>94　み吉野の　山の秋風　小夜ふけて<br />
　　　ふるさと寒く　衣うつなり　（参議　藤原雅経）</b><br />
<br />
<b>【現代語訳】</b><br />
　かつて都のあったみ吉野の山に、秋風が吹いて、今はさびれてしまったふるさとの夜は寒さが身にしみる。衣を打つ砧の音が、何ともものがなしいなあ。<br />
<br />
<b>【文字表記の注』</b><br />
　「蘇武が旅寝は北の国」と謡曲の「砧」にもあるように、衣を「擣（う）つ砧」の音は遠く離れた故郷の妻のイメージと重なるものがあったようです。かつての繁栄はすでになく、荒廃したふるさとのうらびれた秋。定家も「新古今」も「懐旧の情」に貫かれています。「見渡せば花も紅葉もなかりけり」という王朝時代への回顧と、現在への絶望。「百人一首」の最終章はこのように絶望の度を深めてゆきます。<br />
　＃92と同様の散らしのパターン。全体は八行になり、行間だけを同じにあんばいしています。<br />
　作者は「さんぎ　ふぢはらのまさつね」。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_492.html</comments>
 <pubDate>Fri, 20 Nov 2009 13:35:29 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[93　世のなかは]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_491.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20091120-093.jpg">null</a><br />
<br />
<b>93　世の中は　つねにもがもな　渚こぐ<br />
　　　あまの小舟の　綱手かなしも　（鎌倉右大臣　源　実朝）</b><br />
<br />
<b>【現代語訳】</b><br />
　世の中は常に変わらぬすがたであってほしいものだ。あの渚のあたりを漕ぎまわっていた漁師の小舟も、一旦は綱を引いて陸へ引き上げるのだ。引く手があってこそ出直す明日がある。理想的な眺めではないか。<br />
<br />
<b>【文字表記の注』</b><br />
　多くの解釈には何故「舟の綱手」が「不変の世」に結びつくのか、納得の行く説明がなされていません。したがって「上の句」と下の句」の必然的な感動が伝わってこないのです。川舟も海の舟も「引き綱」があるように、政治家の処する「世の中」にほしいものは「引き綱」ではないでしょうか。ときどき巻き戻してこそ、明日という未来が開ける。鎌倉の三代将軍である実朝にはその思いが強かったのではないかと思います。<br />
　今度の「散らし」は単純な「段落し」。小細工をしないのもかえってモダンに見えます。<br />
　作者は「かまくらのうだいじん　みなもとのさねとも」。頼朝の血を引く最後の将軍。北條氏の抬頭でオセオセの世の中にうんざりして、王朝時代に戻りたかったのかもしれません。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_491.html</comments>
 <pubDate>Fri, 20 Nov 2009 13:32:56 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[92　わが袖は]]></title>
 <link>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_490.html</link>
<description><![CDATA[<a href="http://www.seikeikai.net/media/2/20091129-zzz 005.jpg">null</a><br />
<br />
<b>92　わが袖は　潮干に見えぬ　沖の石の<br />
　　　人こそしらね　かわくまもなし　（二條院讃岐）</b><br />
<br />
<b>【現代語訳】</b><br />
　私の袖は、引き潮になっても見えない沖の石のように、人知れず波に隠れて涙の乾く暇もありません。<br />
<br />
<b>【文字表記の注』</b><br />
　「乾く」は「かわく」で、「かはく」ではありません。今のように「衣の袖」や「たもと」というゆったりとした衣服がない時代には、袖が涙の代名詞だったことや、「袖で顔を隠す」ようなエレガントなしぐさも過去のものになっています。今の洋服の袖では顔も隠れません。<br />
　今度の「散らし」は二段書きです。こういう書き方でもよいのです。和歌を書くということは、このような自由な発想を可能にします。書物の活字だけで和歌を読んでいる人から見れば斬新です。<br />
　作者は二條院（にでうゐん」に仕えた女房。父・源三位頼政（げんざんみよりまさ）の所領は「若狭」だから、「さぬき」は彼女の名前かもしれない。とすると、珍しく名前のわかる女性といえるかもしれません。]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://www.seikeikai.net/100/date_11-20-2009_490.html</comments>
 <pubDate>Fri, 20 Nov 2009 13:30:10 +0900</pubDate>
</item>
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