ここでひとやすみ(7) - 手本・百人一首

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ここでひとやすみ(7)

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 かなと漢字の違いは、書道のうえから見ても顕著なものがあります。そこでそれぞれに専門家が現れ、別々の道を歩むことになりました。つまり漢字専門家は主に中国の漢詩を書いて「ひらがな」とのバッテイングを避け、かな専門家は変体がなを駆使して「和様」の美を追求したのです。

 その結果、両者の住み分けが深く、静かに進行しました。明治までは「東の漢字、西のかな」と言われるように、東京には漢字書家が多く、かな書家はわずかでした。逆に関西ではかな書家が輩出しました。もともと王朝文化の地ですから、これは当然といえるでしょう。

 近代以降の日本の詩歌は「漢字かなまじり」の時代を迎えました。はじめは漢文調で「小諸なる古城のほとり」(藤村)とひかえめな「かな使い」でしたが、「君死にたまふことなかれ」(晶子)「からたちの花が咲いたよ」(白秋)と次第に口語に近づき、「いちめんのなのはな」(暮鳥)のように、詩の文字使いに趣向をこらすようになりました。

 困ったのは「住み分け」てきた書家たちです。かな書家には漢字との共存が、漢字書家にはひらがなとの共存が、それぞれに求められることになります。金子鴎亭((1906~2001)の提唱した「近代詩文」はかなの新調和体の試みに対する漢字作家の側からの「漢字とひらがなとの調和」を志したものでした。

掲載日時 2009 年 08 月 13 日 - PM 02 : 02

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