ここでひとやすみ(4)
書くということ
恋の歌は男女の交際の基本でした。想う人に和歌を贈ってまず打診せねばなりません。和歌に花を添えるのに機知が必要です。贈られた側は返歌します。その気があればあるように、なければないように。
当時はすべて筆で書いたのです。自己流の個性的な字を書いても、相手が読めなければ想いが通じません。いきおい正しく、きれいに書こうとします。大切な相手に見られるのです。字が上手くなるためには絶好のチャンスです。
歌稿を練るにも書いたり消したりして考えたはずです。今の詩人はどのように詩稿を練り、どのように言葉を選んでいるのでしょうか。ひょっとしてワープロのモニターをにらんでいるのではないでしょうか。
書く場合には「花」をひらがなで「はな」としようか、漢字で「華」としようか、と考えます。頭の中に「花」という字の行書体、草書体がいくつか浮かんできます。「華」の草書体はなかなか派手でいいな、などと思って書いてみます。そうだ、このあいだ手に入れたあの紙に書こう、とか。そういうさまざまな「いとなみ」に支えられて百人一首の歌が今に残っているのだとあらためて思うのです。
書きつつ練り上げられてきた文化が和歌であり、書であることをもういちど再確認して、今度は声を出して読んでみましょう。活字で印刷された百人一首にはないものが浮かんできませんか。
掲載日時 2009 年 07 月 18 日 - 午後 03 : 49
