ここでひとやすみ(3)
坊主の恋歌
百人一首には僧侶が恋の歌をぬけぬけと作っているのにおかしみを感じます。日本の和歌の伝統には「男が女の身になって詠う」という状況設定の課題が出され、そのフィクションを詠うのは誰でもよいのです。僧侶がなかなかうまくこの課題をクリヤーすれば、その落差がまた面白かったのだろうと思います。
だいたいこのような歌合わせなどの宮廷遊戯に参加できる階級はハイソサエティですから、僧侶とはいえ、「12あまつ風」の僧正遍昭のように、もとは桓武天皇の孫。皇子が臣籍に下って、その子の良岑宗貞さんが出家して遍昭となった、という経歴があります。在家の時代に浮き名を流したキャリアーがあれば、宮廷サロンでは皆が知っていて、むしろそれを楽しんだ、と言ってもよいかもしれません。この遍昭の息子(在家時代のでしょうね)が「21いま来むと」の素性法師で、恋の歌の名手。三十六歌仙の一人に選ばれています。
僧侶は当然「漢字」のお経を書いていましたが、ちゃんと「かな書」にも通じていたんですね。いやはや。
掲載日時 2009 年 07 月 12 日 - 午後 03 : 56
